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キャラハン、ウィリアムズ、そしてヴァン・サント

風刺漫画家ジョン・キャラハンの驚くべき人生を映画化するという企画がガス・ヴァン・サントに提案されたのは、20年前。彼の監督作品『グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち』(97)に出演していたロビン・ウィリアムズが、1994年に映画化権を獲得していたキャラハンの自伝” Don’t Worry, He Won’t Get Far on Foot”(89年出版)について、監督をしてくれないかと相談してきた時だった。ウィリアムズは、乗馬中の事故で身体麻痺となってしまった友人、俳優クリストファー・リーヴ(スーパーマン役で知られる。1970年代ジュリアード音楽院時代にウィリアムズとルームメイトとなり、それ以来の友人)のためにもこの役を演じたいと願っていた。「ウィリアムズは、キャラハンが冗談好きで、コメディアンのようなルックスだったことも気に入っていたんだ」とヴァン・サントは語る。

一方、ヴァン・サント自身も、ジョン・キャラハンのことは1980年代から知っていた。彼の風刺漫画がふたりが住むポートランドの地方新聞Willamette Weekなどに掲載されていたからだ。ちょうどその頃、ヴァン・サントは『ドラッグストア・カウボーイ』(89)の撮影を始めたところ。「僕たちふたりは自分たちの世界をはじめたばかりだった」。

こうして、ヴァン・サントは、2000年代初めまで数名の共同脚本家たちと何度もドラフトを執筆していく。しかし、製作に進むことはできなかった。「でも、あの時間があったからこそ、ジョン・キャラハンと一緒に時間を過ごし、その人生を知ることができたんだ」と振り返る。キャラハンのインタビューを重ねることで、風刺漫画家としての側面や本には書かれていない一面を知ることができたのだ。

2014年のウィリアムズの死後、原作を再び脚色することを決めたヴァン・サントは、原作により近い形で脚本を作り上げた。「それまでの脚本は、原作よりも突飛なアイディアにあふれていた。当初はロビンがキャラハンを演じることを念頭に置いていたし、キャラハンの人生に合わせようとしていたからね。でも、考えた末に、強いメッセージ性のある、如何にアルコール依存症から脱したかというチャプターにフォーカスしようと思ったんだ」。

長年住居を構えているオレゴン州ポートランドを舞台に、実在の人物をモデルにした多くの作品を手掛けてきたガス・ヴァン・サント。2010年に59歳で亡くなった華やかで強烈だった男キャラハンの思い出をこう語る。「彼は、ワーキング・クラスやパンク・ロッカーのようなミュージシャンが住んでいるポートランドの北西地区に住んでいた。赤い髪をなびかせて、雨の中でも車いすを猛スピードで走らせていく姿を良く目にしたものだよ」。

風刺漫画家ジョン・キャラハン
―ホアキン・フェニックス

因習打破主義者の風刺漫画家ジョン・キャラハンを演じるのはアカデミー賞に3度ノミネートされたホアキン・フェニックス。彼が19歳の時、主演のニコール・キッドマンの年下の恋人役に抜擢されて出演した『誘う女』(95)以来、2度目のガス・ヴァン・サント監督作品への出演となる。

「ガスはユニークな視点を持っている」と語るホアキン。「彼がジョンを直接知っていることからも、ステレオタイプな自伝映画になるとは思えなかった。そして何よりも、この企画に対するガスの情熱を感じたことが、僕にとって一番大事なことだったんだ」。

この企画がキャラハンの家族から絶大な協力を得ていることもホアキンを動かした。「キャラハンの自伝が原作となっているということは、彼の人生について彼が伝えたいことが詰まっていて、これは例えば、他人の人生をクールな映画に作り上げるために、そのあたりにいる監督が考えたことではないってこと。だから、とてもパーソナルな映画になると確信したよ」。

フェニックスはこの役柄に没頭し、キャラハンについて可能な限りのことを調べ、学んだ。自伝本を読み込むことは勿論のこと、ヴァン・サントがキャラハンの自宅でインタビューをしたテープや、1993年に放映された「60ミニッツ」、オランダのドキュメンタリー作家が製作した”Touch Me Someplace I Can Feel”(07)なども研究した。監督とは脚本を1ページずつ読んですべてを語り合った。「彼の役柄への献身は本当に素晴らしかった」とヴァン・サントは称賛する。「それは、物真似などではなく、ホアキンなりのジョンを創り出すことへの挑戦だったんだ」。

フェニックスのリサーチは、キャラハンが事故後に治療を受けた施設、カリフォルニアのザ・ダウニー、ランチョ・ロサンゼルス・ナショナル・リハビリテーション・センターにも及んだ。何でも話してくれる15~20年前に怪我をした人たちの話を聴く一方で、新しい患者さんとも話をする必要性を感じた彼だが、ある日、入院してきた子供の心がショック状態にあることが分かって、言葉を飲み込んだという。「そんな状況で経験するトラウマがどんなに大変なものかを知らされた気がした。そういった経験が、ジョンの人生の一部を理解することに繋がったと思う」。

フェニックスは撮影中のほとんどの時間を車いすで過ごした。電動車いすの操作の訓練には1か月をかけ、キャラハンが使ったものよりパワーアップされた時速約12マイルを出せる車いすを使いこなしていた彼は、キャラハンが車いすから落ちて少年たちに助けられるシーンが最初スタントマンによって撮影されたことに腹を立てた。「だから挑戦してみたけれど、それこそスタントマンがやったみたいになってしまった。というのも、車いすが走る先に張ってあるロープに引っかかって車いすから飛び出す流れだったのに、無意識のうちに腕でコントロールしてしまったんだ。でも、それはジョンにはできない動作だ。だから、あのシーンは少なくとも2度、撮影したんだよ。落ちる瞬間に僕の腕が動かないというシーンを撮るためにね」。

そんなフェニックスの周到な準備は、撮影現場を訪れたキャラハンの弟トムと彼の家族を驚かせることになる。「ホアキンの動きはまるでジョンそのもので、ジョンに再び逢えたのかと思ったほどでした!」。

「コメディは、ホラーに対抗できる大切な武器だ。だからこそ、死をも吹き飛ばせる」

―ジョン・キャラハン

Who is ジョン・キャラハン?

1951年生まれ、オレゴン州ダラス出身。1972年、21歳の時に事故に遭い、車いす生活が始まる。27歳の時に禁酒。過激なユーモアに溢れたキャラハンの風刺漫画は、彼が住むポートランドの地方紙Willamette Weekに27年間掲載され、多くのファンだけでなく、漫画に怒った多くの人々からも手紙がきた。風刺漫画本や絵本、そして自身の伝記”Don’t Worry, He Won’t Get Far on Foot:The Autobiography of Dangerous Man”などを執筆。彼の風刺漫画は、サンフランシスコ・クロニクル、ニューヨーク・デイリー・ニュース、ロンドン・オブザーバーなどを含む50紙以上で掲載されている。2010年、手術後の合併症により59歳で他界。尚、ミュージシャンでもあった彼の歌声は、本作のエンドクレジットに流れる曲“Texas When You Go”で聴くことができる。

ヴァン・サントは語る。「アーティストが人生のどこかで始めた何かは、決して終わることがない。その強迫観念に取りつかれるということが、アーティストたる所以なんだ。ジョンの場合は、イラストを描き続けることが生きていく一番の理由となった。彼にとって、すべてのものはいつもイラストであり、風刺漫画だったんだ」。